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30件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2019-03-12 第198回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

そういう中で、二〇一〇年に中国漁船が海上保安庁にぶつかるあの事件が起こり、反日暴動が起こり、そして二〇一〇年代、一三年、四年ぐらいから、南シナ海の島々、島嶼を中国が猛烈な勢いで埋め立てて、そこを基地としていくと、そういう動きが高まったわけですね。  当然ながら、これに対する国際的な反発があって、東南アジア諸国は小さな国が多いので中国に面と向かって対決するということは期待できない。

五百旗頭真

2019-03-12 第198回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

そのときに、言わば歯止めを持っているということが大事で、中国との間では、先ほど、オリンピックとリーマン・ショックの後、尖閣事案が二〇一〇年、一二年と起こり、反日暴動起こりました。しかし、奪い取る行動まで中国は起こさなかった。奪い取ったのが南シナ海のフィリピンに対してであり、ベトナムに対してなんですね。  

五百旗頭真

2013-11-05 第185回国会 参議院 経済産業委員会 第2号

なおかつ、御案内のとおり、昨年以降の、反日暴動以降、調整までもがストップしているという状況でございます。  しかしながら、今後の海外展開支援を考えてまいりますと、この中小企業政策対話再開必要性可能性というのは私はあるのではないかと思っているんですが、この点について確認したいと思います。

谷合正明

2013-06-14 第183回国会 衆議院 外務委員会 第10号

ですから、先般の反日暴動に関しては適用はされませんが、この協定が発効いたしますと、先般のような暴動等の事態に際し、受け入れ国による協定上のいずれかの義務、例えば第五条1に定める十分な保護及び保障を与える義務の違反により投資家投資財産損害が生ずる場合、投資家が、その損害賠償を求めて、受け入れ国相手として仲裁等に付託することができるようになると考えています。

岸田文雄

2011-11-28 第179回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第2号

反日暴動あるいは反日デモ、たくさん起こっていました。それが一変したのが、八〇年代半ば過ぎにそれまでのいろんな努力、ODAも含めての努力が実って、日本輸出志向型の、輸出産業が出ていったと。これによって雇用が生まれて、外貨が獲得できて、経済自立に向かったということで、八〇年代の後半から対日感情は一変しています。

下村恭民

2011-05-26 第177回国会 参議院 外交防衛委員会 第11号

ですから、二〇〇五年の四月、中国反日暴動がありましたけれども、あれは全部竹島問題が原因ですので。そういう意味から見ていくと、逆にロシア中国韓国が、あるいは北朝鮮が一緒になってくれたというのは、これから日本外交がターゲットを一つにしてやりやすいですね。そういう意味では、どこから攻めるかといったときに、竹島問題が一番攻めやすい。なぜならば、相手民主主義国家だと自任しているわけですから。  

下條正男

2006-04-20 第164回国会 参議院 外交防衛委員会 第12号

話題を変えて、ちょうど一年前の中国反日暴動についてお伺いをしたいと思います。  我々日本人の国民性として、淡泊というか、一年もたつと忘れてしまうことが多いわけでありますけれども、中国韓国人たちはそれこそ六十年前でも百年前でも出来事というのを忘れない、そして外交カードとして使ってくるわけであります。我々も一年前のことを忘れずにしっかりと主張を続けていきたいと思います。  

岡田直樹

2006-04-07 第164回国会 衆議院 外務委員会 第9号

ただ、この種のものに対して、いろいろ状況に応じて考えられることは、それぞれの事件内容は違っておりますので、瀋陽の話も、反日暴動の話も、今回の上海事件も、その内容は全部かなり違っております。  しかし、今問題として言っておられますこの上海事件のことに関しては、少なくとも、はめられる等々の話というのはこの種の職業においてはよくある話の一つだと存じます。

麻生太郎

2006-02-14 第164回国会 衆議院 予算委員会 第11号

東シナ海のガス田の問題、反日暴動、小泉さんが二回も靖国に行かれた、その後始末、尖閣中国人の活動家が上陸した事案もありました、それから、中国原子力潜水艦が領海侵犯しました。こういう外交的な重要案件を、国家主権に対する侵害行為であり、我が国国民の生命が奪われたこういう事件を一方に抱えながら、大臣は知らずに交渉の最前線に立たされていた。これは正常と言えますか、外務大臣

長島昭久

2006-01-23 第164回国会 衆議院 本会議 第2号

昨年四月の中国各地で起こった反日暴動の例を引くまでもありません。  総理、今あなたがなすべきことは、自国のナショナリズムに迎合したりあおったりすることではなく、アジアの二つの大国にたまっているナショナリズムのマグマを適切に管理することだと思うのです。それこそが真のリーダーシップではないでしょうか。この点についての総理の御見解を承りたいと思います。

長島昭久

2005-10-26 第163回国会 衆議院 外務委員会 第4号

先般、これも委員会で、中国反日教育、私はここへ中国ティーチャーズマニュアルを持ってきて、中国反日暴動原因にはすさまじい反日教育がある、牢記という言葉を使って、日本に対する恨みを骨髄まで埋めるべきだ、こういう表現中国歴史教育の中のティーチャーズマニュアル、これは新しい改正版でもこういった内容が書いてあるわけでありますが、このことを指摘したわけであります。  

松原仁

2005-06-02 第162回国会 衆議院 予算委員会 第22号

反日暴動はありませんでした。そういうつながりというのも含めて、これはいろいろな意味での、プロプロとの交流だけじゃなくて、全体としての交流というのは必要なんだなと。  円借も有終の美を飾って、日中青年交流基金とか、こういう次世代の青年交流するようなものをつくっていくといったような考え方というのはかなり我々にとっては大事なことだと思うんですが、外務大臣、いかがですか。

金子一義

2005-05-18 第162回国会 衆議院 外務委員会 第8号

松原委員 これで終わりにいたしますが、中国反日暴動が収束した理由も、国際世論というものがあったわけでありますから、特に、中国に対して申し入れるだけではなくて、国際世論に対してこのことを明らかにするための努力を、日本の国益に合致することでありますから、外務省町村大臣中心に全力で取り組んでいただきたいということをお願い申し上げまして、私の質疑といたします。  以上です。ありがとうございました。

松原仁

2005-05-13 第162回国会 衆議院 外務委員会 第7号

町村大臣も、この中国教科書問題については議論をしているわけでありますが、このことの今後の決意と、中国教科書だけではなくて、ここにあるようなこういったティーチャーズマニュアル、ここに記されたところまで、本当は踏み込みたくはないけれども、余りにもそれは極端であるがゆえに、踏み込んで何とかすべきではないかということを大臣として中国に対してこれを言わなければ、第二第三のもっと極端な反日暴動が必ず起こると

松原仁

2005-05-13 第162回国会 衆議院 外務委員会 第7号

松原委員 もう質問を終わりますが、できればこの教師用教本のあり方、ここまで踏み込まない限りにおいて根本的な解決にはならないということと、ここにあるのは、まさに歴史を客観的な歴史ではなくて思想教育として使おうという意図が見えている、文言で明確に書かれているということも指摘しておきますし、あと、在駐日の王毅大使がこの反日暴動はこの教科書原因ではないということを言っていますが、ああいう発言を向こうがしてくるということを

松原仁

2005-04-25 第162回国会 衆議院 決算行政監視委員会第一分科会 第1号

一連の反日暴動の中、日本の駐中日外交官の顔が何か全く見えない。私が知らないだけなのかわかりませんけれども。  チャイナ・スクールという言葉は、現代用語基礎知識によりますと、外交官上級試験に合格して外務省に入った人々は英語、フランス語、ドイツ語ロシア語中国語スペイン語などを専門とする語学別に分けられ、二年もしくは三年ほどの研修を海外で受ける。

岸本健

2005-04-22 第162回国会 衆議院 外務委員会 第6号

しかし、少なくとも、問われるのは、むしろこういった中国ティーチャーズマニュアルも含める、こういったもので無垢な子供たちがずっとこれを教わってきたら、最後はそう思ってしまう、このことの問題点が今日の反日暴動の一番の中心にあると私は思うんですよ。  ですから、ぜひとも外務省で、こういった中国教科書についてどういう記述がなされているのか、中国教師用マニュアルはどういう記述がなされているのか。

松原仁

2005-04-22 第162回国会 衆議院 外務委員会 第6号

松原委員 こういう中で、この反日デモ反日暴動がこのように拡大をした原因というのはさまざまあると思っております。  この理由一つに、既に外務大臣もどこかで指摘されたという話も伝わっておりますが、中国反日教育があるというふうに私は認識しておりますが、これについての見解をお伺いいたします。

松原仁

2005-04-21 第162回国会 参議院 外交防衛委員会 第9号

たまたま私がインドネシアに在勤いたしましたのが一九七四年の初めからでございましたが、その直前に田中角栄当時の総理ジャカルタに行かれてジャカルタ暴動と、当時、反日暴動というふうに報道されましたが、言ってみますとこれは必ずしも反日という単純な話ではなくて、インドネシア政権内部権力闘争であるとか、あるいはインドネシア人と華僑とのあつれきとか、そういう複雑な要素が絡まっておりました。

柳井俊二

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